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《賢者の石対策本部:みんなで幸せになろうよ》

谷地田ヴァルゥと、梧香月さん、日和小春さんの合作世界です。 原作で不遇なヤツ、不憫なヤツ、”双子の月が廻る世界”でみんな幸せになろう。

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『flying』              (香月)

うちのサイトより転載。
さくやろー後、るーれーシリアス話。

==================================================
 
 サクヤとキジローの葬式から大分過ぎて、ようやく落ち着いた心地がした。
 この数週間、キリカがいなかったら、周りにアカネやアヤメ、リィンがいてくれなかったと思うとぞっとする。もうとっくの昔に俺は壊れてしまっていたかもしれない。
 すやすやと昼寝をするキリカの寝顔を見つめながら、エクルーはそんなことを考えていた。
 キリカはサクヤとキジローが最後に残してくれた希望という名の枷であり、支えだった。歳を数えて、言葉も体もしっかりしてきたが、まだまだ手のかかる赤ん坊。まだまだ世話をしてやらなくてはならない。やることがこんなにあったから、キリカがいてくれたから、何とか足を止めずに来れた。
 温室の天井から光が差し込んでいるのがわかる。軽く閉じた瞼の向こう、少しだけ眩しい薔薇色の光をエクルーが楽しんでいたときだった。
「ん?」
 一瞬だけ、その光が翳った気がした。けれど、それは本当に一瞬で、エクルーが瞼を開けたときにはもう、元の優しい光が、変わらずに透明な天井越しに差し込んでいた。
 気がついたらベビーベッドの上にキリカが頼りない足で立って、ぽぅ、と天井を見ていた。
「キリカ?」
「るーちゃ、びゅーん、なの。おーきいのが、びゅーんなのようー」
「?」
「びゅーん、なのようー」
 キリカの表情が輝いている。キリカでなくても子供は好奇心が強い。一体、今一瞬、何があったんだ?
 エクルーは、すっかり眠気が覚めてしまったらしいキリカを抱き上げて、温室を出た。その瞬間、春に相応しくない逆流した風を感じた。エクルーとキリカの良く似た黒い髪が少しだけ揺れる。
 エクルーははっとする。こんな風、感じるのは初めてじゃない。
 空を見る。キリカが空に手を伸ばした。すっ、とくすみ一つなかった青空が、また一瞬、軽く翳る。
 あの朝のように、よく晴れた青い空を背景に、大きな翼が弧を描いて旋回した。
「るーちゃ、びゅーんようー! おっきなはねが、びゅーんようー!」


 キリカをリィンとアカネに託して、エクルーは南の谷間にある丘陵を目指して走っていた。本当は飛べるのに、何でこのときはそんなことも忘れていたんだろうか。笑えてしまう。
 ここら周辺に、大きなスペースのある場所といったらあの丘陵だ。彼は必ずそこを選ぶ。
 ざっ、と低い崖際の岩を蹴って、丘陵に降り立った。顔を上げるとちょうど、大きな、本当に大きな大きな竜の影が淡い光と共に小さくしぼんでいくところだった。
 とん、と軽やかに降り立つ靴音。風が黒い柔らかな布地を攫って、透明な空気の中に綺麗に棚引かせる。
 そこで気がついたのか、それとももっと早く気がついていたのか、彼の場合は判然としない。ともかく、彼は小首を傾げる従者の少女の頭を軽く撫でてから振り向いた。
「……久しぶり」
 本当に久々だったから、それ以外の言葉が出なかった。彼は少し、複雑な表情で、でもいつものように微笑んだ。
「お久しぶりです、エクルー。……少し、遅くなりました」
「お久なのですよー、黒髪マザコン。少しは仕方のない性格治りましたですかー?」


「レアシス!」
「マスター!?」
 温室に戻るとリィンとアカネの驚いた声が彼らを出迎えた。その声に主が答えるよりも早く、シャルがぱたぱたと駆け抜けて、キリカがちょこんと座るベビーベッドを覗き込んだ。
「お久なのですよー、でかしっぽと銀髪双子の小さいほう。お前が黒髪マザコンの妹ですか?」
「うー?」
 キリカは初めて見る新しい顔に小首を傾げながら手を伸ばす。シャルはその手を優しく取りながら、キリカの顔をじーっと見つめた。
「ふーん、黒髪マザコンの妹にしては『りまつ』そうなのですよー」
「は?」
「シャル、『利発』だよ」
「そう、それなのですよー」
 キリカがシャルの手を興味深そうに握ってきゃっきゃと笑う。まったく、この竜の仔にはいろいろな意味で到底、敵いそうにない。
 キリカの相手をシャルに任せて、とりあえずエクルーは温室の空いている場所に座るよう、レアシスを促した。彼はいつものように優雅な動作で腰掛けて、微笑みながらリィンとアカネを見渡す。
「お久しぶりです、リィン、アカネさん」
「マスター、お久しぶりです。でも、どうして?」
「遅くなってしまいましたが……。ようやく、少しの間だけ暇が出来たので、お祈りの一つでも捧げようと思いまして。シュアラにいらっしゃったときも結局、見舞いにも行けなかったので……。
 明日には発たなくてはいけませんが」
「……そっか」
「本当はお葬式に来るつもりではいたんですが……いろいろとありましてね」
「仕方ないよ。レアシスは皇帝陛下だしね。それだけでもサクヤもキジローも喜ぶよ。ありがとう」
「いいえ、もっと早く来れずに申し訳ありません」
 言ってレアシスは首を振ってみせる。キリカの笑い声がきゃっきゃと響いた。シャルが上手く遊び相手になってくれているらしい。まったく、小さい女の子には優しいよな、とエクルーは胸中で呟いた。
「キリカちゃん、思ったより落ち着いているようですね」
「うん。まだ1才だったのが逆に良かったのかもな。それにリィンもアヤメもアカネもずっといてくれたし」
「私たちはお手伝いしてただけよ。エクルーが一番、頑張っていたじゃない」
「子供は誰かに愛されてるってわかれば大丈夫。キリカも同じだ。大丈夫だよ」
「うん、ありがと」
 ふ、と力を抜いた声でエクルーは返した。その彼を横目で眺めながら、レアシスはふと目を細める。逡巡して、何かを口にしかけたとき、
「れー、れー、しゃーのあうじしゃまなのうー?」
 ベビーベッドから幼い声が漏れる。少し驚いた様子でレアシスはそちらを見た。
 1才の赤ん坊を眺めながら、レアシスは首を傾げる。シャルが「そうなのですよー、とってもえらいひとなのですよー」といつも通りに自分の主の自慢話を続けると、キリカは首を傾げながらもうんうんと頷きながらじっと聞いていた。
 妙なことを吹き込まれないだろうか。エクルーは少し不安になった。あの竜の仔はときどき突拍子もないからな。
「……随分、前に会ったきりでしたから、僕のことは忘れているだろうと思っていたのですが」
 驚きながら呟くようにレアシスが口にする。エクルーは胸を張った。
「そんなわけないだろう? キリカは俺に似てとても賢いんだから」
「キリカー、ああいうのを『しすこん』というのですよー?」
「うりゅー? しす……」
「だあああっ! 何を教えてるんだっ!」


 もともとリィンの家の子たちは彼に懐いていたから、久しぶりの来訪は大いに喜ばれた。
 ちょっとしたサプライズになったが、実は数日前にきちんとカシスに連絡はしていたらしい。あのものぐさが周りに報せずに放置していただけで。ルナに怒鳴られ、アルに絡まれ、ついでにレアシスの小言が刺さったが、相変わらずびくともしない。ただアルテミスの「だめよー、とうしゃ」の言葉にはちょっとだけ息を吐いているのがおかしかった。
 以前、イドラに来てから筆まめに彼に手紙を送っていたらしいイズミは、喜び勇んで世話を焼いた。先日の事件はどうだったの? 疲れてるでしょ、このお茶を飲んでみなさい、とあれこれ話しかけてシャルに剥れられていた。
 キリカはいたくその竜の仔が気に入ったようで、キリカは終始、彼女があやしながら抱っこをして連れ歩いていた。『しゃー、しゅきっ』と言いながら懐いていた。どうも途中からおかしいな、と思っていたらシャルの身長が少しだけ高いことに気が付いた。キリカを抱くためにいつもより少し、大人に体現してみた、とのことだった。彼女いわく、『シャルはめろん胸よりないすばでーのお姉さんになれるですよ?』とのことだった。それはぜひ見てみたい、と言ったらルナの拳骨とアヤメとアカネの冷めた視線が飛んできた。
 メドゥーラが来ると彼女はいきなり彼の体を診察し始めた。以前、毒が回っているのに放置していた彼を叱り飛ばしたことがあるらしい。ときどき診てやらんと何を隠しているかわからない、と言われて稀代の皇帝は苦笑しながら『メドゥーラに隠し事が出来るほどの器量は持ち合わせておりません』と冗談を言った。メドゥーラにとっては雷帝と呼ばれる大国の皇帝も手のかかる孫と同じようだった。
 キジローがシュアラの療養から帰ってきて以来の人の集まりだった。キリカと二人きりになってから、何となく覇気をなくしてしまっていた家が少し華やいだ。


 キリカがシャルから離れたがらなくて、そのシャルは主から離れようとしない。結果的にレアシスはエクルーの家に短い滞在をすることになった。リィンの兄弟たちは少し、寂しそうな顔をしたが、兄妹二人だけの家の来客を反対する人間はいなかった。
 寝床に選んだ温室で、心地良い疲れを感じながらティーカップに満たされた茶をすする。前回はレモングラスティー、今回は質のいいセイロンだった。
 レアシスは他国に渡る際に必ず茶葉を持参する癖があるらしい。昔、味覚を失っているときに香りを楽しめる紅茶は彼の数少ない安らぎだったそうだ。
身体が治った今もその癖は健在であったが、今現在のその理由は少し進化しているらしかった。曰く、その方が他国の茶菓子を倍楽しめる、ということらしい。物欲のなさそうな秀麗な顔が、笑いながらそう言う様子が何だかおかしくて笑ってしまった。
「シャルは相変わらずだよな」
「そうですか?」
「相変わらず、男の子に厳しいじゃないか。小さい女の子にはやたら優しいくせにさ」
「シャルの部族ではそういうものらしいですよ。女性は男性の尻叩き役。くす、イドリアンもそうではないですか?」
「……そうだな。違いない」
 脳裏に浮かんだのはイズミと、そしてアヤメとリィン。確かに頷ける。笑えるくらい。
 当の竜族の仔はベビーベッドの脇で毛布に包まりながら、すうすうと寝息を立てている。彼女の中では、エクルーは今日、『黒髪マザコン』から『黒髪シスコン』に昇格したらしい。『昇格なのか?』と聞くと何とも生意気に、『ママはお嫁に行きませんが、シスターはお嫁に行くのですよ?』とクリティカルヒットが返って来た。
「ひどいよなぁ。今からそんなこと言われたら」
「今からそんなことを言われて、あれだけ落ち込むあなたもあなただと思いますがね」
 くすくすと思い出し笑いをする友人に、エクルーは憮然としてカップの中身を飲み干した。不貞腐れたように適当に敷布にした毛布に寝転がる。背中からまたくすくすと笑いが漏れた。
「でもシャルも変わりましたよ。昔に比べて随分と」
「へえ?」
「昔は気難しい子でしてね。正直な話、カシスの方が、手がかからなかったくらいです。何度も引っかかれましたよ」
 エクルーは思わずぷっ、と噴き出した。歳だけを見ればカシスの方が四つも上だというのに。カシスが幼いのか、彼が早熟すぎたのか。おそらく両方だ。シャルにしてもそうだ。500歳の長老なのに、ずっと幼くて手がかかる。
 考えてみれば、エクルーが会ったことのあるエイロネイアの住人はみんなそうだ。みんな、心のうちに何かを抱えている。彼はそんな彼らを総括している。そして、みんな彼をよく慕っていた。
 ごろん、と寝返りを打つ。ちょうどレアシスはカップの中身を飲み干すところだった。
 妙なカリスマ性だ。自分もとっくに擦り切れているのに、かつて自分の部下を慮りすぎるほど慮っていた。人が集まれば集まるほどに、彼の肩の重みは増えていく。けれどその肩を支える手は増えていく。彼に縋らずにはいられない。でも支えずにはいられない。
 エイロネイアの彼らは彼に救いを求めているのか、それとも救いを与えたいのか。
 ……それも両方なんだろう。


 あの日。
 キジローとサクヤと会った最後の晩。今までにないような、安らかな気分で眠れた。だからこれからも大丈夫。ずっとあんな心地で眠ることが出来ると思っていた。
 でも、葬式が終わってからの晩は、キリカが寝てしまってから寝付くまでの時間がやたらと長く感じた。
 気持ちは落ち着いているのに、何だか頭がすっきりしなかった。身体は育児で泥のように疲れているのに、神経だけが何故か休まらない。
 忙しい合間を縫って来訪してくれた彼に感謝する。久しぶりにこの時間に神経が尖らない。


 とさり、と軽い音がして敷布が少し浮く。
 天井を向いたまま、レアシスが仰向けで寝転がっていた。ゆっくりと大きく、深呼吸が漏れる。ほどほどに白い頬と、投げ出された腕に、エクルーは眉間に皺を寄せた。
「……レアシス」
「?」
「ちょっと痩せた?」
「……」
 彼の微笑が凍った。エクルーも彼の扱いに大分馴れた。もうその鉄の仮面には誤魔化されない。
「何か、あった?」
「……」
「レアシス」
 苛立った声が漏れる。それほどイライラしたつもりはなかったのに、飛び出た声は思った以上に刺々しいものになってしまった。何でだろう。何かを焦っている。
 彼はまた長い溜め息を吐いた。今度の溜め息は、何だかひどく疲れていた。今さら彼の一つしかない目の下にうっすらと隈があるのに気がついた。
「……また、政変が起きそうです」
 がばっ、とエクルーは身を起こした。睨むように見下ろしたレアシスの目は、ひたすら静謐だった。何かがたゆたっている。だが、ひたすらに静か。2年前のあのときのように。
「政変て?」
「右翼派が最後の抵抗を見せています」
 彼の声から抑揚が消えていた。昼間、リィンの弟や妹たちと話していたときは欠片も見せなかった淡々とした声。

『生まれてきて、ごめんなさい』

 2年前に鼓膜を打ったあの感情のない声が聞こえる。エクルーは頭を振り払って、やっと聞き返した。
「右翼派……?」
「元はセレッサが原因でしたが……元々、戦争を起こしたがっている人間はゼロではありませんでした。セレッサはそれを加速させただけ。下に恐ろしきは魔物でなく、人間の方でしたね。
 あのときに、ほとんど掃除されたと思っていましたが、肝心なところを逃していたようです」
「政変? 嘘だろ? そんな死にかけの一派、何とも出来ないのか?」
「知っていますか、エクルー。蝋燭の炎は消えかけが一番、激しく燃える。まずいことに、何とも嫌なバックを手に入れられた」
「バック?」
「クロキアです」
「!」
「感情的ですねぇ。あの国王、よほど僕を潰したくて仕方がないらしい。利害関係の一致、というヤツですか」
「何でそんな冷静に語ってるんだ!」
「あなたも冷静になってください。キリカちゃんが起きますよ」
「……っ!」
 エクルーは奥歯を噛み締める。彼の物語は、あのとき、ハッピーエンドで終わったんじゃないのか。身体が治って、国の腐った元凶を取り除いて、それで終わったんじゃなかったのか? あれから2年が経つのに、どうして彼はこんな表情をしているんだ。まるであのときと一緒じゃないか。
「そんなにまずいの? 今のままだと、どうなるわけ?」
「……」
「……レアシス!」
「下手をすれば、」
 荒げる声に被せるように、あくまで静かに彼は言葉を紡ぐ。

「下手をすれば、僕は処刑台に上がります」


 頭の中が、真っ白になった。

 どがっ!

「……」
 振り上げた拳が当たった場所は、彼の頬を掠めたすぐ脇の床だった。
 相変わらずの動かない表情で、逸れた拳を横目で見て、眉を潜めて天井を向く。透けて星が臨めるはずの透明な天井は、今は黒髪を垂らした影に遮られていた。
 少しだけ、レアシスは驚いた。拍子にぽたり、とたった一滴だけ、温い雫が頬に落ちるのを感じた。
「……温室で、寝てたんだ」
「?」
「最期の晩、キジローもサクヤも。温室で寝てた。朝、見に行ったら誰もいなかった。キリカと西の台地にいった。 ……キジローとサクヤはそこで眠ってた。ずっと。ずっと眠ってた。幸せそうだった」
「……」
「だったら大丈夫、って言うしかないじゃないか。キリカと一緒に、幸せに暮らしていくよ、って言うしかないじゃないか。今まで頑張ってくれてありがとう、って言うしかないじゃないか……!」
「……」
 レアシスは表情を変えない。エクルーには、それがひどい温度差に感じた。
「何で俺の大事な人はみんな、俺に遺言を遺すんだ? 何でそんなずるい遺言ばかり言うんだよ。
 俺は好きだよ。面倒かけられるのは大好きだ。でも、」
 エクルーがきっ、と顔を上げる。滲んだ涙がかろうじて落ちずに残っていた。彼が奥歯を噛み締めて耐えていたから、落ちずに残っていた。
「何でそんなに冷静なんだっ? まだ死んでしまってもいい、って思ってるのかっ? 約束しただろう、しがみついてでも生き延びるって! 何でそんな顔で、平気でそんなことを俺に言うんだっ!?」
「……エクルー」
「俺にはキリカがいる。アカネもアヤメもリィンもいるさ。でも、だからって君が死んでいいわけないだろうっ!?」
「エクルー!」
 語尾を強めた声で、静謐なアルトがエクルーの名を呼んだ。叱り飛ばすような声だった。ひたり、とエクルーの激情が止まる。
 静かな目がエクルーを睨んでいた。でも、ふと気づく。その目がかもし出す雰囲気は、けして冷えたものではなかった。同じじゃない。2年前、彼はこんな目をしなかった。諦観だけを胸に抱いて、擦り切れた目でエクルーを眺めるだけだった。叱咤の声など上げなかった。
「エクルー、僕にあなたの気持ちはわかりません。
 物心がついたとき、母は既にいなかった。物心ついたときに兄は天上の人となり、義母を殺めてしまった。5年前、あなたに負けぬ親友であった部下を失い、2年前、この手で父を殺しました」
「……」
「エクルー、僕はあなたの悲しみを知らない。貴方のご両親が、どんな想いであなたにキリカちゃんを託したのかもわからない。
 だからあえて言います」
 駄々をこねて、はっと我に返った子供ように、エクルーはその叱咤の声を聞いていた。どんな言葉が返ってくるのか、一抹の恐怖を感じた。
 あの西の台地で、キリカにさえ言われたのだ。『ないないだめようー』って。泣いては駄目だ。俺はキジローとサクヤの忘れ形見を、キリカと幸せにならなくてはいけないのだからと。
 エクルーはさらに奥歯をきつく噛み締めた。けれど反対に、涼やかで静かな声のその持ち主は、ふと表情を緩めてこう言った。
「……泣いてあげなさい。18はまだ子供ですよ? それが親への子供の仕事でしょう?」
「っ!!」
 尖っていた神経が、不意に粉々に砕けたような気がした。


 耳元でエクルーの嗚咽を聞きながら、レアシスは2年前のカルミノの晩を思い出していた。自らの刺客で父を殺めたあの晩。酩酊に逃げようとして、幼い頃から酒に馴れた身を呪った一夜だった。
 父の死を耳で直に聞いても涙一つ出なかった。すぐに自分も逝くものだという思いもあったかもしれない。自分の使命、いや、使命と思い込んでいたものに懸命になりすぎて、親のために泣く、という至極簡単な親孝行さえ忘れていた。ああ、どこまで親不孝な息子だったんだろうな、僕は。
 勝手かもしれない。けれど、あの必死すぎた、愚かな自分に拳を握って堪えているエクルーの姿が重なった。だから、泣いて欲しかった。自分のような親不孝者にはしたくなかった。
 今頃、天国のキジローやサクヤには、逆に恨まれてるかもしれないな、僕は。ここまでエクルーは頑張って耐えていたんだろうに、自分自身の勝手な自己満足でその頑張りの一つを破ってしまったのだから。
 まあいいか、恨まれるのは――馴れているから。


「……ごめん」
 声と身体が力を取り戻して、最初に言ったのは謝罪だった。彼は濡れた肩口をちらりと見ただけで、大きな反応もせずに小さく笑うだけだった。
 やっと起き上がって、元のようにごろん、と仰向けに横たわる。ぼんやりと天井を仰ぐと、頂点にアークトゥルスとスピカが見える。何だか、春の空で一番、明るいはずのその光が、いつも以上に穏やかに笑っているように見えた。
「珍しいものを見れました。語り草に出来ます」
「……やめてくれ」
 意地の悪さはお互い、似たり寄ったりだった。何でこんな楽しそうなんだよ。さっき、処刑台がどうのこうの、って言ってなかったっけ?
 少し腫れぼったくなった瞼に腕を置いて、エクルーは溜め息を吐く。ふ、と戻った力を込めてまた口を開きかけた。だが、一瞬早く、彼の声の方が先に温室に響いた。
「言い忘れましたが、エクルー」
「?」
「僕は『下手をすれば』とちゃんと付けましたからね?」
「……」
 くすくすと笑い声が漏れる。エクルーは頭を抱えたくなった。俺、どんなに追い詰められてたんだよ、レアシスの性格と頭の異常な切れなんてとっくに知ってたことじゃないか。
 いい加減、笑い止んだらどうなのさ、と口にしようとするとぴたりと彼は笑いを止めた。
「……エクルー」
「何?」
「僕は2年前のあのとき。カルミノで心臓の鼓動を思い出しました。シュアラで前への向き方と歩き方を思い出しました。そしてイドラのこの温室と台地で、やっと呼吸の仕方を思い出しました」
「……」
「ここはあなたのご両親が眠った場所です。でも同時に、僕にとっては生まれた場所ですよ」
「……ありがと」
 くす、とまた微笑む声がした。やばい、また泣きそうになった。2年前の最初、あのとき、俺が何とかしてあげたいと思った。悲愴すぎる決意を抱えて、勝手に世界の嫌われ者になっていた彼を支えてやりたいと思っていたのに、これじゃ逆じゃないか。
 つい、さっきまで考えていたことを思い出す。縋られたいのに縋りたい。本当に、二面性の激しい人物だ、この子は。ときどき、年下にしか見えないのに、今のように年上にしか見えないときもある。
「エクルー、一つお願いがあります」
「何?」
「僕を助けてくれませんか?」
 ぽかん、と一瞬、開いた口が塞がらなくなった。『間抜け面を曝さないでください』という何とも失礼な言葉に我に返る。
 何が何だかわからない上に、この青年が吐き出す言葉にも思えなかった。助けろ、って? どういうこと?
「何、それ? まさか君をエイロネイアから攫ってくれ、とか言わないよね?」
「まあ、当たらずとも遠からず、ですね」
「……駆け落ちのお誘い?」
「そんなわけないでしょう。馬鹿ですか、あなたは」
 ぴしゃりと言われた。まあ、当たり前だけど。
「いい加減、エイロネイアにも遅い春が来るべきだと思うんですよ」
「?」
「冬薔薇はとうに枯れた。今は遅い春を呼ぶべきだ。そのためには冬の名残の落ち葉を、少々掃除してやる必要があるでしょう?」
「レアシス。……何か企んでるね?」
 エクルーが少し興奮気味に聞くと、微笑んでいた秀麗な顔が、いきなりにやりと唇を吊り上げた。
「伊達にこの20年。四面楚歌の中で生き抜いてきた身ではありません。
 あなたの仰る通りです。しがみついてでも、生き延びてあげますよ。以前、悪魔とまでそしりを受けた、僕らしい、ずるいやり方でね」
 さっきまで泣いていたのに今度はいきなり笑いが込み上げてきた。この子は一体、何を言い出してくれるんだろう。
 自分が処刑台に上がるかもしれない。でも、それを何かとびきりのゲームの開始を待っている子供のような目で、迎え撃とうというのだ。受け入れるのではなく、迎え撃つ。
 つい、数週間前、ここはキジローが最後の夕焼けに自分の人生を受け入れた場所だった。でも同じ場所で、目の前の青年は自分の運命をきっぱりと否定した。
 キジローもサクヤも。子供の頃から俺はずっと病気が進行していくのを見ていた。止められなかった。賢者の石で少しだけ命を長引かせられたのかもしれない。けれど、エクルーの中には無力感だけがこびりついて取れなかった。ぽっかりと抜けた穴が寂しかった。
 でも今、治らないはずだった病を克服した友人が手を伸ばしている。この友人の命は、今、自分が何とかできるかもしれないのだ。それは救いを求める手なのか、それとも救いの手そのものなのか、エクルーにはわからなかった。
「僕はキリカちゃんと3度しか会っていません。イドラの雪も見たことがありません。あなたやリィンと2年しか友人でいられていません。カシスもシャルもエノもまだまだ手がかかる。まだ、この先の未来を皆と見ていない。
 エクルー、手を貸してくれますか?」
 2年前、壊疽から息吹を吹き返した白い手が、エクルーに伸ばされた。久々の高揚感が指先に走っていた。その通りだ。俺もまだキリカと1年しか暮らしていない。キリカが大きくなって、大抵の男が見惚れるくらいになるまで。
 エクルーは同じように唇の端を吊り上げて笑った。
「ああ、もちろん」
 深く、力を込めて頷いて、エクルーはその多くを抱える手を握り返した。
 リィンとも、その兄弟たちとも、アルとも、スオミとも、ジンとも、イリスとも、アヤメともアカネとも、シン、リン、ケンとも、グレンとも、メルとも、メイリンとも、メドゥーラとも。レアシスを筆頭に、2年前から付き合いが始まった本当に多くの友人とも。
 君といる未来のために。


 ミヅチで送っていく、と誰もが言ったが彼はきっぱりと断った。たった1日の休暇の裏側で、重い仕事がついて回っているのだということは、昨日とは違う、胸に紋章を掲げた彼の皇帝としての装束が物語っていた。
 大きく元の竜の姿に体現したシャルを前にして、キリカがきゃっきゃと嬉しそうな声をあげている。『りゅー、おーきなりゅーなのようー』とはしゃいでいた。りゅー、という言葉はシャルが教えていったんだろう。
「また、いつでも来てくれよ」
「マスター、お体にはくれぐれも気をつけてくださいね」
 ぽん、と肩を叩くリィンと薬師らしい激励を送るアカネに、彼は少し苦笑して頷いた。
「ええ、リィンもアヤメさんもアカネさんも。また暇があったらお邪魔します」
 リィンの兄弟たちと、ルナとアルテミス、そして最後に無駄と知りつつカシスに小言を吐くのを待ってから、エクルーはキリカを抱いて彼に近づいた。
「ご面倒をかけました。……それから、これからおかけます」
「言っただろ。面倒事は嫌いじゃないんだ」
 キリカが彼の黒衣の袖をくいくい、と引いた。レアシスが小首を傾げて彼女を覗き込むと、キリカはにぱ、と笑って手を振った。
「れー、しゃー、またねーようー」
 レアシスはちょっと驚いてから、また、くすっと笑った。それからすぐに返した。
「はい、また。……必ず」
 短い約束を交わして、彼は自らの愛騎に跨ってイドラの空に舞い上がった。


 キリカはまた集まった人たちの人気者になって、いろんな人の手から手に抱っこされていた。
 エクルーは手を組んで伸びをする。
 あの夜以来、泥のように眠った。深呼吸をすると、溜まっていた体の中の澱がすっと抜けていくような気がした。ああ、そうか、呼吸ってこういうふうにするんだな。レアシス、俺も ちょっと忘れてたみたいだよ。

 ありがとう。
 どういたしまして。
 すぐに借りは返すけどね。
 楽しみにしています、くすくす。









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目次(ヴァル)
「姫おり」過去編
織姫のお仕事
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   4.1 4.2

カルミノ編 1日目 『桜降る夜の森に』 2日目  『雷鳴の封印』  『拾い子』  『森の中の星空』 3日目  『再生の呪文』  『春日なる』 4日目 祝宴 お茶会  『おすそわけ』  
イドラ編 あかねるーver.  『茜さす』  『玉章の』  『ぬばたまの』  『真菰刈る』  『吾ぎ妹子の』  『シュアラの休日』  『天雲の』
いずみるーver. 『夢一夜』   『はじめの一歩』 外々? 『グレイの冬空』 『リィンの探検記』 『舞初め』 『忍ぶれど』 『色出でにけり』 『未遂』 『Fly me to the twine moon(その1)』 『ラプソディー(その1)』
すおみろい  『Baby Morning, Baby Night』  『Be Ambitious, Boys!』  『標野行き』 『Calling』   (上) (下) (おまけ) 『玉響詞(タマユラノウタ)』   『Honey suger hummingbird』 『すみれ色の指輪』 ぱーるる 『しろたえの』 『Agnus Dei』 『Sanctus』 『Kyrie eleison』 『夜の瞳』 『狼の宅急便』
3つ子&小町ズ&あるびー 『山笑う』 『魂100まで』  『明日に架ける橋』 『疳の虫 虫の知らせ』 『鈴猫』 『鬼灯(カガチ)』
あかねれー 『リカバリー70%』 ありしん
シュアラ編
エイロネイア編 らーじー 『風を悼み』 『禊の苑で』 『重なる月に寄せて(その1)』
目次(香月)
「姫おり」過去編
嘆キノ森シリーズ
『嘆キノ森』
 正面左右背後
 出口1
『嘆キノ森-PSI-missing-』
     

カルミノ編 前夜祭 『Happily Ever After』01 1日目 『Happily Ever After』02 『Happily Ever After』03 『Happily Ever After』04 『Happily Ever After』05 2日目 『Happily Ever After』06 『Happily Ever After』07 3日目 4日目 祝宴 お茶会  『romanesque』
イドラ編 あかねるーver.  『flying』  『アイルキスユー』  『輪舞-revolution-』

かしるな 『奈落の花』  EPISODE1  EPISODE2  EPISODE3  EPISODE FIN 『Trikstar』 『モノクロのキス』 Side:L 『GLORIA』    EPISODE Final 『TRANSMIGRATION』
あかねれー 『Never more』  Ⅰ.undelete 『I'll be there』   final 『FRIENDS』     『mezzo forte』     『赤い涙』     『too late? …』  Side:R   Side:A  Final!
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