「……嫌なビンゴだな」
舌打ちが出た。昼間と同じ斜面に降り立つと、ざく、と下生えの悲鳴が上がった。直感的に思っただけだが、嫌な方向にビンゴするもんだ。だから何で嫌な予感は当たりやすいんだ。せめていい予感も同じくらい当たれ。
芝生の斜面に性懲りもなく男が転がっていた。昼間と同じ男なのは見て分かる。首根っこを掴んで引き上げる。重い。魔道師に力仕事なんぞさせるんじゃねぇ、畜生が。
首筋に触れる。呼吸はない。脈も弱いな。
迷わずうつ伏せに投げ出した。そのまま背中を思い切り踏みつける。2、3回。華奢な人間じゃなくて助かった。背骨がイカれるこたないだろ。気道確保、心臓マッサージ、両方が出来る上にさほど不快感もない。理想的な救急法だ。
がっ、かはっ、ひゅ、ひゅうっ。無様な呼吸音がして、男が息を吐いた。ごろり、と爪先でひっくり返してやると、薄っすらと目を開けた。しばらく酸素の足りない金魚になった後に、声が出たらしい。
「意外と……親切なんだな……2回も、助けてくれるなんて……」
「自殺は自宅でやれ、マゾヒスト野郎」
「……死体の、処理に……来てくれたのか?」
大分、目の光がはっきりしてきた。少なくとも憎まれ口に付き合う余裕はあるらしい。錫杖を担いでしゃがみ込む。
「同じ自殺なら腹上死の方が気が利いてるぜ?」
「残念だな。そんなに気張ると女の方が先に死んじまう」
言葉に途切れがなくなってきた。まあ、よく口の減らない男らしい。他人のことを言えるような口をしてるわけじゃないが。
「名乗ってなかったな……俺はアルだ。ただのアル。それ以外の名前はない」
「特に興味はねえ」
「だろうな」
さて、どうするか。このまま放って置く、というのもテだが、昼間の光景が頭をちらつく。そもそも何で俺はこの男を2回も助けるハメになったのか。この男は何をしていたのか。生憎、想像力は悪くない。さぁ、どう尋問しようか。
「……カルミノの遺産、"賢者の石"。聞き覚えは、あるよな?」
ぴくり、と男の節くれだった指が動く。これもビンゴ。たまにはいい方に当たるじゃねぇか。
男がわずかに身を起こして耳元に囁いてきた。
(俺たちは観察されてるぞ)
言われてちらり、と背後の植え込みに目をやる。2組の視線を感じた。視線のジャンルは間違いなく奇異だ。まあ、後ろから見りゃあ、この構図は大の男が抱き合ってるように見える。そりゃ真っ当な目線には奇異に映るわな。
さあて、下手なことを喋れなくなった。人の肩に捕まる男をちらり、と見る。……まあ、洒落の通じる相手らしいしな。
(どうせ招かれざる客だ。サービスくらいしてやるべきじゃねぇのか?)
(じゃあ、助けてくれた御礼だ)
急に後頭部を抱え込まれた。やたらと冷めた一瞬の後に、うつぶせたせいだろう、土の味がするキスを押し付けられた。
―― ………上手くはねぇな。
かなり乱暴だった。だが、乱暴が故に粗が分かる。冷めた頭でぼんやりと分析する。礼と言いつつ、何だか笑えた。下手だったのが逆に良かったんだな、無駄な嫌悪感を感じずに済んだ。
(悪い男だな、てめぇも)
そして馬鹿だ。
手の力を抜くなり、がくり、と気絶した男を眺めながら思う。
今度は呼吸しているらしい。まあ、眠らせといてやるか。それよりも、ああ、面倒だな。
「物陰で人の会話をこそこそ盗み聞きたぁ、随分と高尚な趣味じゃねぇか、ええ? サービスショットは終わりだ。潔くなったらどうだ?」
わずかに茂みが揺れた。出てきたのはローティーンの男女2人。男の方は帯剣しているようだった。女の方はヴェールに覆われていて、顔は見えない。些か、衣装が変わっている。ああ、あれは確か――?
「お気を悪くさせてごめんなさい。あの、助けを求める気配がしたもので……」
「……で、様子見に来たけど、あんたがいて大丈夫そうだから、帰るところなんだ。
邪魔されたくないだろ。そこどいてくんない?」
どく、と言ったってこの大荷物が邪魔なんだがな。そんなことを考えていると、見計らったように突風が吹いた。女のヴェールが捲れて、男の方が舌打ちする。ああ、思い出した。あれはシュアラの装束だったっけか。確かにあそこの女は姿を隠すのが美徳か何かだったっけ?
まあ、不可抗力だ。そう思って目を向けると、特徴的な額飾りが目に入る。
……あれは。
「……へえ、あんた。シュアラの巫女姫様かい」
シュアラの文化は特殊なものらしい。まじないから占いまで、大陸とは何もかもが違う。そして大陸まで信仰を集めるのが巫女姫様だとか何だとか。……ああ、嫌なことを思い出しそうだ。自分の言を聞かれたかもしれない出刃ガメの顔も確認できたし、面倒になる前にさっさと退散するか。
シュアラか。そういや、そんな額飾りを見たことがあったのはいつだったっけ……?
―― っ!
『…私も数度しか行ったことがないんだけどね、カシス。そこにはとても不思議な文化があって、』
……やめろ。
『…とても大勢の人が皆、読み書きを習えて、美味しいものを食べて生活しているんだ』
……やめろっ。
『…そこは帝さまや巫女姫様という方々に守られていてね。ほら、絵に描いてあげよう、こんな形の……』
――出てくるなっ!!!
『――お前が、 』
―― っ、はあ、……はあ。
……くそ、ふざけるな。何でこんなことで。冷えろ。消えろ。もう二度と出てくるな。俺が俺でいられなくなる前に。
「……何かとご高名な姫さんが、こんなところで出刃がめたぁな。よっぽど暇と見える」
「……」
吐き出す台詞に悪意を込める。力の抜けた男の身体を何とか担ぎ上げて、頭の中を白にする。
「一つ、教えといてやるぜ、巫女姫様よ。助けがどうたらこうたら、感じたところでほいほいと近寄るのはやめといたがいい。どんな蛇や鬼が出るか知れたもんじゃねぇからな。
噂がどこまで本当かは知らねぇが、親切と余計なお節介の違いは間違わねぇようにした方がいいぜ。地雷を踏むのは自分だからな」
言い放った悪意は自己防衛。自己主義を貫けばいいだけだ。俺はそうやって生きてきた。誰に頼った記憶もない。己が崩れるものならば、突き放せばいい。二度と触れることがないほどに。Malumianは、Malumian。それだけの話。
「……口を慎め」
「あ?」
言葉を吐き出したのは、男の方だった。言葉の端、静かに傾けた表情の中に激情が見える。
ああ、そうかい。そういうことか。言っとくが人間てヤツは脆いぜ? 死に際でも容易く裏切――
『――お前が、 』
ああ、やめろやめろ。アレは既に過去の幻影。溶けて消えた残像。くだらないくだらないくだらないっ。
自分を裏切った人間なんざ、知ったこっちゃないっ!!!
「……ああ、慎むぜ。生憎、俺は王族貴族なんてろくでもないもんが大嫌いでね。高く止まった身分で民に救いを、なんてほざかれるのは耳が腐る質だ。こっちから退散してやるよ」
「……あっそ」
男は思いの他、淡白に返してきた。女の方は何故だか知らないが頭を下げる。
気絶した男をズタ袋と同じ要領で抱え直す。さっさとこんな場は離れるに限る。
素通りしようと瞬間、視界が狭まったせいか、熱を持つ脳が足をふらつかせたせいか、ヴェールを被り直した女の方と当たったような気がした。かしゃん、と何かの小さな音がする。
「……げほっ」
さく、と軽い音がしたかと思えば、女の方がその場にしゃがみ込んだらしい。男の方が慌てて駆け寄るのが見える。
……ああ、そうか。何が起こったのか、まあ、想像はつく。巫女姫というくらいだ。御大ならどうするだろう。また下手な親切心と仏心を出すんだろうか。
それがどれだけ己を痛めつけるか、一番己で知りながら、だ。……心底、馬鹿だ。くだらない。
結局、アレは孤独を語りながら、孤独になれる性格ではないのだ。それでSatanを語るなぞ、笑わせる。それ以上、振り返ることなく下生えを踏みつける。何よりも自分のために。
最後に、嘲笑った、はずだった。形になっていたかは知らない。その嘲りが、誰に向けていたかも……もう記憶がおぼろげだ。
どさりっ。
寝室のベッドに男の身体を投げ出す。やれやれ、疲れた。アンバーがいない、ってのもなかなか不便だな。錫杖で凝った肩を叩く。さて、尋問でも始めようか。
試しにアルと名乗る男の肩を押して見るが、目を覚ます気配はない。眼球と呼吸を確かめてみるが、やはり寝ているだけだ。
―― ……殴打してみてから熱湯でも用意してくるか。それとも冷水と氷か……? それとも濡れタオルで鼻と口を塞いでみるか。
非情と言うなかれ。少なくとも、槍の切っ先を枕にぶっ刺してくるどこかの誰かより数段はマシだ。火傷くらいはすぐに治せるしな。
そう思って一度、部屋を出ようとした、ときだ。
ぐいっ。
「なっ!?」
急に生温い感触に右手首を掴まれた。元々片腕しかない俺は、逆の手でバランスを取る、なんてことが出来ない。一気に男の体重がぶら下がって来たら、そりゃ重力に従うしかない。くそ、何度も言うが、俺は重戦士じゃなく魔道師だ!
どういう夢を見てるのか、そのまま男はのしかかったまま寝息を立て始める。
「……ンの野郎……ッ!」
ずくんっ。
―― っ! あ、あ……
悪態を吐いて抜け出そうとした、瞬間。
呻き声と共に男の腕が回ってくる。肩口に、腕に、他人の節くれの腕と手が絡みつく。
「……ぁ、う……く……っ!」
背筋が寒く凍る。身体中にびりびりと、錯覚の痛みが走る。やめろ、錯覚だ。もう何もない。傷跡さえもない。だからこの痛みはただの錯覚なのだ。そう思うのに、全身からぞわりと鳥肌が立って、脂汗が噴き出した。
―― っ!!
目の前に無数の手が見えた。声に鳴らない悲鳴が、全身を駆け回る。暗闇の中から、皺くちゃの汚い手が身体を拘束してくる。けして優しい手つきなんかではない。それは拘束とただ穢すことだけを目的にした、強制的な拘束。いくら足掻いてもその手は緩められることはなく、やがては血が滲み出す。足掻くだけ傷つくだけだ、と宣言されたように。
無数の手は髪を引き、腕を乱暴に吊り上げて、足首を引き摺り上げる。やがて背中には劈くような熱さと痛みが走って、ひしゃげた自分の悲鳴が耳鳴りする。
『……ほら、これで多少は可愛くなった……』
『……ははは、プリズンにはお似合いの焼印だな……』
『……さあ、今日も奉仕の時間だ。神に跪け。己が穢れを払ってやるからな……』
「……っ、あ、ぅう……」
『カシス?』
『嫌な夢でも見たのか?』
「―― っ! っは、はぁ……」
数秒、息が止まっていたのを自覚する。人間の下敷きになっていると呼吸もままならない。くそ、もう一度、錯覚に病む前にのしかかる男の腹を蹴り飛ばそうとした。
「……死ぬな」
ぽつり、と聞こえた声に振り上げた足が止まる。肩口のローブが濡れる感触。ぱたり、と枕の上に斑紋が出来た。
「すぐ……迎えに行くから……待って、て、くれ……」
「……」
『大丈夫。お前は死なないよ。私がついているから。何度でも迎えにいってやるから、お前も諦めないでくれよ?』
「……寝言に夜泣き。ガキかよ、くそっ」
大の男が、よく知りもしない野郎の前で何でこんな無防備になれるんだ。どんだけ幸せな人生を送ってるんだか。くそ、忌々しい。
ああ、ああ、本当に忌々しい。忌々しい記憶から解放するのは、いつも同じ忌々しい記憶。所詮はアレも俺を裏切った人間じゃねぇか。昔の話だ。俺には関係ない。そんなくだらないことに囚われているような場合じゃない。
俺は生き延びる。無様にしがみついてでも。他人を蹴落としても。それ以上があるものか。
――くそ、ムカムカする……っ!
こんなへらへらした優男が、一体、何を抱え込んでいるというのだ。聞きたいことがなかったなら、喉元くらいこの場で掻き切ってやれるのに。
胃の中が煮えくり返る。ありったけの罵詈雑言が頭の中を駆け巡った。だが、身体は正直で嫌になる。このところ、やたらと短かった睡眠時間は、俺の意識を容赦なく闇に沈めていった。
不思議と悪夢は見なかった。
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