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《賢者の石対策本部:みんなで幸せになろうよ》

谷地田ヴァルゥと、梧香月さん、日和小春さんの合作世界です。 原作で不遇なヤツ、不憫なヤツ、”双子の月が廻る世界”でみんな幸せになろう。

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『mezzo forte』下

…終わった。
涙腺崩壊でのたのたするなんて初めての経験でした。
良かったね、れーくん。お母さんの精一杯のクリスマスプレゼントです。

ピロートークは番外にて。

 =========================================
(さて。大丈夫か?)
「……ええ」
 アカネが落ち着くのを待ってから、アルとエクルーは大聖堂の方へ消えた。必ず連れて来るから、と約束して。
 ケープ越しに自分の体を温める。すっかり冷たくなった指先を、吐息で温めて、アカネはもう一度、湖面に顔を出したやまわろを見上げた。
 まだ吐き気が消えていない。湖面に身を投げてしまいたくなるような感情が、アカネの中で燻ぶっていた。でもこれは、アカネが感じているものではなく、あの人がずっと抱えてきた感情なんだ。
 アカネは深呼吸で意識を取り戻す。また涙が零れそうになるのを、必死で堪えて上を見る。
 そんなことさせない。
 最初はただの気まぐれで結びついた教師と生徒だった。
 最初にイドラの緑化の要を教えてくれた。
 少ない生命の時間を割きながら魔道術を教えてくれた。
 もうないかもしれないと思っていた再会をして、本当に嬉しかった。
 私の幼い恋を聞いて、弱みを見せてでも励ましてくれた。
 それから、もう一度女の子として綺麗になる理由になってくれた。
 ありのままの、私が好きだと言ってくれた。
(さて。アカネ)
「……」
(……どうだったかね?)
「……酷いわ」
(酷い?)
 アカネは懐から、少しくたびれてしまったカードを取り出す。涙が染みてしまっていて、少し字が滲んでいる。
「"愛してくれてありがとう"なんて……。何て続くの? この先には、何て続くの?」
(……)
 聞こえていた。彼にそのつもりはないのかもしれない。でも、根底に眠る声を聞いてしまったから。
「さようなら? すまない? ……酷いわ、私はそんな言葉が聞きたいわけじゃない!」
 声が詰まって語尾が強くなる。
「私にはもうあの人が必要なの。私だけじゃないわ、エクルーもリィンも同じことを言うわ。カシスやルナはいつもぶつくさ言ってるけど、本当はあの人にすごく甘いの。メドゥーラだって、自分の孫みたいに可愛がってくれるし、父さんだって信頼してくれる。第一、クロイツは? エノは? シャルは? アリッシュさんはどうするの? シンシヤだって今はもう、あの人をすごく敬愛しているのに」
(……そうだな)
「……悔しい」
 アカネはケープの上からぎゅ、とサリーのストールを握り締める。彼はどんな気持ちでこれを選んでくれたんだろう。
「それでも駄目なの? あの人は、まだこっちを振り向いてくれないの?」
(最初に失ったものが多すぎた。そして、奪われたものを自分で壊してしまったものだと思ってしまった。
 それが根底で彼に傷を残してしまった)
「そんなのって……」
(アカネ、私は君に希望を託しているんだ)
「?」
 やまわろは少し騒がしくなった山の稜線を、もう一度見返した。その目は、どこか遠くを見ているようだった。
(君と再会して、君と過ごすようになってから、少しずつ、彼は生を楽しむことを覚えたような気がする)
 アカネははっとして思い出す。着ているサリーを見下ろして、唇を噛んだ。

『君に選ぶときは楽しかったし、すぐにこれがいいと思った』

 言った。確かに、彼は『楽しかった』と言ったのだ。あれは嘘? ううん、今なら彼の嘘なら見抜ける自信がある。嘘じゃない。
(彼の北極星[ポーラスター]になってやってくれ。手を掴んで、こちら側へ振り向かせてやって欲しい。
 あの子は大きくなれる。今よりももっと大きくなれる。大きな翼となれる。混迷しやすい世を飛ぶ白鴉になるはずなのだ)
「……」
 アカネは冷たくなった手を握り締める。熱が生まれた。
「……私も、理由になりたい」
(?)
「あの人が生きる理由になりたい。もうあっち側に行かないように。私もあの人を置いて、あっち側に行ったりしない。
……私を信じて欲しい」
 信じて、という言葉は届き難い言葉だ。幾瀬を生きたやまわろも、そのことをよく知っていた。だが、何も言わなかった。
 届き難い言葉としても、確かに必要な言葉だったから。
 重ね続けなくてはならない言葉だから。
 いつか届くと信じるべき言葉だから。
 稜線が一際、大きな音を立てる。かっ、と一瞬、明るくなったかと思うと森の中で一条の雷が閃いた。
 あの子の力はこんなにも灯りになるのに。
 力の歪みがやまわろに伝わる。エクルーのものだった。やまわろはもう一度、アカネを見下ろして、言った。
(私は何も出来なかった。何も出来ない我が身を呪った。
 アカネ……あの子を、頼む)


 さくさくと、足元で小さな霜柱が割れる。
 夏にはあれだけ緑に彩られていた沢が、何となく寂しげに枯れ木と針葉樹に励まされていた。でも、山間から流れてくる沢の水は相変わらず澄んで清らかだ。
 出っ張った岩や、木の葉の上に薄っすらと雪の残像が残っている。ふと沢の淵を見下ろすと、ぱきん、と薄い氷が割れた。
「イドラの雪、初めて見たわ」
「気候が変わって来たんだろうね。サクヤさんとルナの研究が実りつつある証拠だよ。スオミさんやアカネの研究もね」
「でも、最初に私に火の術を教えてくれたのはあなたよ? カシスやルナをイドラに駐屯できるようにしてくれたのもあなただもの。ありがとう、あなたの成果でもあるわ」
 彼はくすり、と笑って「僕は大したことはしていないよ」と言った。嘘ばかり。本当はカシスをイドラに駐屯させるには、結構な手間がかかったはずなのだ。多少の無茶なしで、直属の医師で軍の副隊長がいきなりこんな場所に居を構えられるはずがない。カシスがいたから、ルナも一緒にイドラに駐屯することが出来て、研究が楽になった。
 何だかんだ言って、結局、彼らはお互いにお互い、甘いのだ。
 アカネはルパの背から、ルパの毛のシートを下ろして敷く。夏や秋だったら葉っぱの絨毯で十分だが、雪が解けた土の地面は些か冷たすぎる。
 レアシスが符を取り出して呪を紡ぐ。こうっ、と軽い音がしてアカネがシートを敷いたすぐ近くの岩に、小さな炎がぶつけられる。焼かれた岩はやがてほんのりと周囲を温めた。
「最初に教えてもらったわね。火の呪文の、この使い方」
「冬場の旅には不可欠だからね」
「……」
 アカネはじっとレアシスの顔を見上げる。
「? どうかした?」
「秋に新しい緑十字の総監という人が来たのだけど」
「ああ……伯爵か。あまりいい縁がないんだけど」
「それに比べると、王族なのに、あなたは随分とフィールドに手馴れているなぁ、と思って。
 あの人、コケモモも知らなかったし、よく転びながら歩いていたものだったから」
 レアシスは苦笑しながら、シートに座ったアカネの隣に腰を下ろした。焼けた石に冷たい手をかざしながら、
「幼少時に、クロイツがよくこういったところに連れ出してくれたからね。
 それに、僕は軍人でもある。前線に立ちたいタイプだから、山歩きも旅も慣れているし、沢の水も、現地で得られる食料も貴重品。テントの雑魚寝も実は馴れてる」
「あ、そうか」
 アカネはぽん、と手を叩く。
 丁重な言葉遣いと仕草、やや華奢に見える体に騙されるが、こう見えて彼の奮う槍は結構な重量だ。リィンですら「結構、重いね」と言っていた。それを常に振り回しているのだ。
「まあ、イドリアンには敵わないけどね」
「イドリアンにとってはそれが生活だもの」
 くすり、と笑ってしばらく沢の水音を聞く。アカネは深呼吸をして、レアシスに向き直った。
「話……聞くわよ?」
「うん……」
 ほんの少し迷いながら、彼は沢の清らかな空気を吸う。彼女と同じように深呼吸をする。また一つ、呼吸の仕方を思い出す。大丈夫、僕は生きている。今、このときを生きなくてはならない。これからを生きるために。生まれたのだから。
 すべてを振り返ろう。すべてを打ち明けよう。また迷ってしまわないうちに。
 遠くを見るように、唇を開いた。
「……隠していてすまないと思う。全部、話すよ。僕が生まれたときのこと、……これから起きること」


 ときどき途切れ途切れになる吐息のような話を、アカネは一つも漏らすまいと耳をそばだてていた。時折、彼の眉間にぎゅ、と皺が寄って、手がぐっとルパのシートを握った。アカネは何度か握って白くなった冷たい手に、自分の手を重ねた。
 言葉を重ねるうちに、どんどん彼の顔色は悪くなる。
 自分が生まれてすぐ、実の母親は牢に入れられて、それを苦にして喉を抉って死んでしまったこと。
 幼い頃に皇太子になるはずだった兄が戦死と見せかけて暗殺されたこと。それが、レアシスを皇太子とするための陰謀であったこと。
 その後すぐにどこかの寝台に寝かされて、体中を弄繰り回されたこと。それによって化け物のような力と、器に見合わない力が体に壊疽を広げ始めたこと。
 腹違いだった兄の母親が鬼に囚われて、自分を狙って刃を向けてきたこと。人ならざる力を得ていたレアシスの身体は、反射的に彼女を殺してしまったこと。それを父は怒るどころか、レアシスを褒め称えたこと。それが何よりも痛かったこと。
 5年前、クロイツが休暇中に消えたこと。彼はレアシスの身を解放しようとして、あの女狐――セレッサの陰謀を暴こうとして、教団の餌にされたのだということ。レアシスは激しく自分を責め立てて、とうとう復讐を決意してしまったということ。
 それから3年前――自らの命令で、廃人となっていた父を殺したこと。
 アカネは息を飲んで、やまわろから見せてもらった記憶を思い出して、でもぐっと下腹と顔に力を入れて、涙を止めた。代わりに白くなるほど握り締めた彼の手を、柔らかく握った。
「……それからの僕はただがむしゃらだった。小国が一つ、一つ、落とされていくのを、むしろ歓喜していたかもしれない。
 これであと一歩、あと一歩。あの魔物への復讐が近づくと思うと、慰められる気がしていた。戦で堕ちた人々の屍を代償に」
「……」
「前にも言ったように、僕は見た目ほど綺麗な人間じゃない。父を殺したときは涙も出なかった。
 もう……ようやく終わるんだと、そればかり考えていた」
 アカネの手に力が篭る。彼はふ、と笑って抜けるような青いイドラの空を瞳に映す。
「でも、それからこうして生き残って……。また歓喜している自分がいるんだ。
 山ほどの人を、命を踏み台にした。カルミノで治療を受けたとき、戦場でついた傷だけは消えなかった。僕は、相当な恨みを買っているらしい。傷とは……そういうものだから」
「……」
「アカネ。僕はそんな人間だ。けして綺麗でも、清らかでもない。自分のために、すべてを犠牲にして生きてきた、そんな人間にすぎない。
 ……今まで、隠してきて、すまなかった」
 最後にそう締めくくって。彼は大きな息を吐いた。こちらは向かない。怖いのかもしれない。
 馬鹿ね。ドラゴン一匹相手でも涼しい顔で相手をするそうなのに、私みたいな小娘を怖がるなんて。
「……違うわ」
「?」
 アカネはぐい、と重ねていた手を引っ張った。今日初めて、黒曜石のような瞳と目が合った。
「逆よ」
「……?」
「今の話を聞いて、誰があなたのことを『自分のためにすべてを犠牲にしてきた』なんて思うの?
 逆よ。あなたはエイロネイアとお父様のために、自分自身を犠牲にしてきたんだわ」
「アカネ、けれど僕は……」
「確かにあなたは小国の多くの人を犠牲にしてきたかもしれないわ。でも、それを喜んでいたなんて嘘よ。
 じゃあ、何でいつまでも黒い服ばかりを着るの? 魔法が使えるのに、わざわざ槍で止めを差そうとするのは何故? アリッシュさんやカシスに聞いたわ。あなた、戦災遺族には一人一人、必ず直筆で報せと詫び状を書いていたんでしょう? 何十、何百もいるのに、眠る時間まで削って。それから孤児院や保護施設をいくつも建てて、献金を欠かさなかったって。
 本当に喜んでいるのなら、そんなことをするわけないじゃない」
「……」
「もう自分を責めないで。私もあなたを責めたりしないから。怖がったりもしない。あなたはあなただもの。会ったときと同じ、すごく優しくて無理ばかりする困った男の子よ」
「……」
 アカネは手を伸ばしていつものように彼の眼帯を優しく外した。するりと金糸の布が落ちて、彼の瞳を失った右の頬が露になる。いつもと同じように、しわがれてしまった瞼に口付けた。
「アカネ……?」
 涙を堪えながら、彼の首へと腕を回す。出来る限りの力で、でも優しく抱き締めながら。
 艶やかな黒い髪から、エイロネイアのあの庭園の白薔薇の香りと、……それから、イドラの沢の香りがする。水と緑の匂い。アカネは少し驚いて、でも静かに長めに伸ばした前髪の垂れる彼の額に顔を埋めた。
 いつのまにかこんなにも大きくて、懐かしくて、泣きそうになるほど大切になってしまった。私にとっても……たぶん、イドラにとっても。

「私はあなたが好き。大好きよ。……生まれてきてくれて、ありがとう」

「……」
 長い間があった。沢の水の音と、遠くのチドリの鳴き声だけが響く。緊張と、けれどほんのりと温かい空気とが入り混じった、複雑な間。でも嫌ではなかった。
 彼の頭を抱き寄せたまま、アカネは空を見ていた。青い。イドラの青い空。でもアカネは思う。この空はエイロネイアにも繋がっている。同じ青い空が、広がっているはず。
 見せてあげなきゃ。ううん、一緒に見たい。あなたの憧れ続けた、澄み渡るような、青い、空。
 「レアシス」と呼びかけて、体を離そうとして。アカネは自分の肩が熱い水で濡れていることに気がついた。ほんの少し、ほんの数滴の雫。
 だからやめた。大丈夫、空は逃げない。顔を変えてしまっても、雨があがったら、雲が晴れたら、夜が明けたら、青い空なんかいつでもそこにある。
 もう焦らなくていい。これからは、……一緒に長い時間を生きていける。そう信じてる。
「……アカネ」
「?」
 ぽつり、と名前を呼ばれた。ゆっくりと彼女の肩を抑えて体を離す。アカネは首を傾げて、俯いた顔を覗き込もうとした。刹那、
「っ!?」
 急に肩を抑える手に力が篭った。そのまま見た目よりも厚い胸板に包まれる。抱き締められたのは初めてじゃない。けれど、どのときも先に優しさがあって、柔らかくて甘いものだった。でも、そのときのそれは、苦しいくらいの抱擁で。
 少し冷たい体温に、身体の中にひどく切ない熱が生まれる。押し付けられた胸から早い鼓動が聞こえる。生きているしるし。こちら側のいのち。大丈夫、この鼓動を覚えてる。止まらない鼓動を信じてる。
 温かい雨が降ってきた。虹は出るだろうか。うん、きっと出る。あの青い空に。澄み渡る青い空と、七層の虹。きっと綺麗。その向こうにきっと何か見える。
 アカネは唇を噛むのを止めた。イドラと、エイロネイアと、二つの匂いのする胸に顔を埋めて、強く腕ごと抱き締められていたから、手は回せないけどしっかりと掌で袖を掴んだ。
 零れた雨はもう気にしない。虹を見て笑おう。青い空に微笑もう。今なら、きっとそれが出来るから。


 しばらくしてから大き目の葉っぱを探して、2人で沢の水を飲んだ。2人とも、喉をからからにしていたのに気がついたのは、甘い水が喉を過ぎてからだった。
 馬鹿らしくなって笑った。子供じゃあるまいし、何でこんなになるまで泣いていたのかしら。
 でもいいんだ。今までの彼の涙を埋めるには、一人分じゃきっと足りないから。私も一緒に泣こう。それから笑おう。出会った頃もそうだったように。

 ふと、沢の水で顔を流したアカネの目にそれが飛び込んで来た。
「あ……」
 慌てて先にシートに戻っていたレアシスの袖を引く。
「レアシス、あれ」
「?」
 2人が座っていた場所から、少し離れた場所に、小さな滝があった。沢に水を注ぎ続ける白い糸の真ん中に、
「……」
 陽光の中で、薄く輝く、七色の光の柱があった。
「太陽の位置が変わったから。たぶん、もうすぐ消えてしまうと思うけど」
「……綺麗だね」
 いつものようにふ、と笑う。いつも自嘲染みていて、アカネは彼の漏らすこの笑いが、あまり好きではなかった。でも今は……ほんの少し違って見える。
「……エイロネイアにビフレストという川がある。カルミノを跨ぐ長い川だ」
「ええ」
「ビフレスト、という言葉の意味を知ってる?」
「知らないわ」
 レアシスは身体を伸ばして空を見る。彼の黒い瞳には、今、何色に映っているんだろう。浮かべた微笑みを信じたい。
「虹の橋」
「虹の……橋?」
「神話から取られた名前でね。世界を繋ぐ虹の橋の名前」
「……」
「先代たちはエイロネイアの国境を守り通してきた。でもその本当の願いが、あの川に込められていると……僕は信じてる」
 レアシスは少しだけ表情を引き締める。視線を下げて、自分の手を見つめる。
「……理由はどうあれ、僕の犯した罪はまだここにある」
「……でも、それは」
 言い募ろうとするアカネを、レアシスは首を振って抑える。そして静かに言った。
「僕は虹の橋をかけたい。一生をかけても。それが償いになると、信じてる」
「……」
 彼はアカネを見据えながら、まっすぐに言い放った。深淵の黒い瞳に迷いはない。水の匂い、雪の白、天上の光。その中で相反する色を纏った青年は、凛と自らの光を放つ。
 彼岸を見つめ続け、奈落に広がる闇で在り続けた青年が、天上に七色の光を放つ。
 アカネの顔にゆっくりと、笑みが広がっていった。すっと彼の前に立つと、両手で熱の残る手を取る。普段は隠しているけれど、マメの潰れた痕や訓練の擦り傷がたくさんあった。アカネはそれをぎゅ、と握る。
「手伝わせて」
「……」
「ついて行くわ。いいでしょう?」
 少し前の彼だったらどうしただろう。この手を振り払ったかもしれない。でも、今の彼は川の向こうじゃない。ちゃんとこちら側を……ちゃんとアカネを見てくれている。
「……楽な道ではないよ?」
「大丈夫。私にはあなたがいるわ」
 アカネはにこりと笑って答えた。レアシスは軽く驚いてから、でもくすり、と苦笑する。そして「ありがとう」と言った。
 肩の力を抜く。レアシスは一度屈み込むと、ひょい、とアカネを抱え上げた。
「れ、レアシスっ?」
「まだ馴れない?」
「……もうっ」
 アカネは顔を赤らめながら頬を膨らませた。でも手ではしっかりとレアシスのケープを握っている。馴れてないようで、実は馴れてしまったのかもしれない。
 くすくすとやたらと楽しげな笑いを漏らしながらシートに戻る。そのまま膝にアカネを横抱きにするような格好で座る。
 さっきは平気だったのに、改めて少し低い彼の体温に触れると心臓が止まらなくなる。いや、むしろこのまま止まってしまわないか、心配になった。
 さらり、と肩に回された手がいつものように優しく青銀の髪を梳く。
「さっきは嬉しかったんだけどな」
「さ、さっきは必死だったから……っ! もう、知らないっ!」
「それは困るかな」
 赤らめた顔をぷい、と背けたアカネに、レアシスはくすくすと苦笑を漏らす。でも、ふと笑いを止めて、足元を見る。
「? どうしたの?」
 アカネを片手で抱えたまま、足元に手を伸ばす。薄い雪の膜の下から、一本だけ失敬する。
「今日はこんなつもりじゃなかったから。急ごしらえもいいところだけど」
「?」
「ちゃんとしたのは、後で必ず用意させてもらうけどね」
 悪戯っ子のように笑う。でも目の奥に真剣な光が見て取れた。
 レアシスはアカネの身体を自分の肩に寄り掛からせると、すっと彼女の左手を取った。右手で摘んだ小さな白い花の茎を裂いて、彼女の薬指に痛まないように、でもしっかり巻きつける。
 それから優しく、同じ指に口付けを落とした。
 アカネは目を見開いた。頭の中が真っ白になる。さっきまで冷えていたはずの指先が、急にじんじんとした熱を持ち始める。
 レアシスはいつもより強く彼女の細い肩を抱き寄せる。憑き物の落ちたような、本当に穏やかな微笑みを口の端に浮かべて、漆黒の目を細めて、沢の水が流れる心地良い音のようなアルトで囁いた。
「……愛してる。ついて来て欲しい。一生、だ」
「―― っ!」
 さっき自分で言ったはずの言葉なのに、囁かれた声は熱いほどの熱を持って、アカネの鼓膜を打った。一気に足の爪先まで熱が駆け抜けて、どくん、と心臓が大きく鳴った。同時に胸の中で何かが弾けた。
 口元を両手で覆って、見開いた瞳からぽろぽろと涙が零れていく。せっかく顔を洗ったのに。またぐしゃぐしゃだ。
 答えを言わなくちゃいけないのに、ぱくぱくと開いた口からは声が出て来なかった。レアシスは目を細めて、微笑んだままアカネの答えを待っている。
「……っ、あっ、うっ……」
 詰まった声しか出ない。もどかしい。早く伝えたいのに。
 アカネは言葉の代わりに手を伸ばした。柔らかな髪が守る首筋に腕を伸ばす。レアシスは傾いてくる体に抗わなかった。腕の中の少女を庇うように包んで、後ろに倒れ込む。
 シートをはみ出した服と髪が、雪にしっとりと濡れる。でもそんなこと構わない。
 アカネはレアシスの胸の上から顔を上げた。青い海の色の瞳が波打っている。雪に似た銀の髪がぱっと広がる。そして彼女の背後に、青い――空が、見えた。

 アカネが浮かべた満面の笑顔に、表情が緩む。
 手を伸ばして、髪の隙間を割って。赤くなった耳と、冷たい頬を手の平で覆う。

 重なった唇は、涙と、泉、白い薔薇の香りがした。

========================================================

『mezzo forte』/茅原実里

しんと凪いだ空に手をのばす
今日がフイに遠い こんな時
そこは誰と見てた夢なのか
いつか誰かと見る未来なのか

開かれた扉さえ 逆らうような視線で
何度でも意思を問う だからこそ
踏み出したその重さ 感じられるね

瞬くように 羽ばたくように 新しい旋律が動いた
とても自然で だけど確かで 心に強く響いてる
永遠をほどいた魂のうた 約束の地へやすらぎを連れて
いつか重なるふたりの今日を 美しく奏ではじめた

まるで水の中を歩いてる
そんな不自由さを知ってるね
誰も弱くたって笑わない
声をあげてみてもかまわないの

放たれた海原は 見渡す限りの銀河
その愛が孤独なら
失った邂逅と 同じだけのめぐり逢いを

しなやかに さあ 清らかに さあ 自分という旋律をうたおう
振り向くたびに かけがえのない 軌跡が背中を押すから
瞳凝らして 耳を澄まして はりつめた細い弦の調べが
いつか絡まるふたりのフォルテ やわらかな気持ちにかわる

瞬くように 羽ばたくように 新しい旋律が動いた
とても自然で だけど確かで 心に強く響いてる
永遠をほどいた魂のうた 共鳴しあう わたしとあなたの
いつか重なるふたりのフォルテ やわらかな愛を奏でよう

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*COMMENT-コメント-
▽ほろほろほろ・・・
アカネ…よかったね…本家のはずのうちでは、何となくみそっ娘で、イジイジしていたのに…。
私が放ったらかしにしていた傷を、れーくんが時間をかけて丹念にほぐしてくれた。
これからは、あんたがれーくんを支える番。
ううん、支え合って二人三脚で、世界の傷を癒して行って。そして、虹の橋をかけてね。
▽素敵…
ドキドキしました…。
陛下、もうさりげなさすぎます。さりげなく乙女の心をきゅんきゅんさせるのうますぎます。どこで覚えてきたんですかっ(←)
はわあアカネちゃんっよかったね///
陛下かっこいーっv
▽ありがとうございます(涙)
執筆しながら、あれえ、自分こんなに涙腺弱かったっけ…おっかしいなー、あはは、とか壊れながら書いてました。
原作では悪魔にしか馴れなかった少年が、やっと主人公になれるまでになりました。アカネちゃん、エクルー、イドラのみんな、本当にありがとう。

一時期「呼吸するように女(問わず?)を口説く」と言われていた陛下の本気が久しぶりに出ました。
どこで覚えたんだろう…本能?(そんな本能があるか) 良かったね、陛下。久しぶりに格好いいって言われたよ(笑)
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