『too late? …』 side_A vision1 香月
やっとSide_Aまで;
しかし、Side_AじゃなくてSide_Lな気もしなくもない。
今回、るーちゃの扱いがあんまりよくない。ごめんよ、るーちゃ。クーデター編ではかっこいいところ、いっぱい書くから我慢してくれ。
アカネちゃんの料理の腕前は捏造。こんなんでどうだろう? 面白くないですか?(面白さを求めるな)
ちなみにユーアさまはルナちんの魔道のお師匠です。
ルナちんは陛下病ではないので、描写控えめです(何それ)。
久々にルナちんの一人称でした。
==========================
しかし、Side_AじゃなくてSide_Lな気もしなくもない。
今回、るーちゃの扱いがあんまりよくない。ごめんよ、るーちゃ。クーデター編ではかっこいいところ、いっぱい書くから我慢してくれ。
アカネちゃんの料理の腕前は捏造。こんなんでどうだろう? 面白くないですか?(面白さを求めるな)
ちなみにユーアさまはルナちんの魔道のお師匠です。
ルナちんは陛下病ではないので、描写控えめです(何それ)。
久々にルナちんの一人称でした。
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……不満がある。
……いや、不満があるのは、ある意味いつもだからこの場合、適切じゃあない。
正確に言えば、大きな不満がある。
一応、名誉のために言っておくが、それは別にクーデターを終えて、平和になったはずのエイロネイアから何故か旦那が帰って来ないことでも、そのせいでややファザコンのケがある娘が夜な夜な不貞腐れて添い寝しにくることでもない。名誉のために言っておくが。
問題は――
「……アカネ」
「……」
「……~~~っ。アカネっ!」
「……え?」
何度目かの呼びかけに、ようやく彼女は面をあげた。
「……それ。きしめんでも作るつもり?」
「え? ああっ!」
私の指したのはぼこぼこよお湯の泡を吹き出す鍋の中。白い泡の中でじだばたしているのは、(正味10分くらい前まで)ちょっとふやけたパスタ(だったもの)。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったのっ?」
「いや何度も言ったし、そもそも私の責任かそれっ!? ……いや、まあ、何でもいいけどとりあえず火止めろ。こぼれるし、必要以上にお湯にさらされて怪生物になってるパスタとか見たくないし」
「……そこまで言う?」
こういうときに間違っても、自分も料理が下手で同じようなことをしたことがあります。なんて言っちゃあいけない。
アカネは憮然としながらも火を止める。吹き零れる寸前だった鍋は大人しさを取り戻し、代わりにもうもうと白い湯気をあげた。彼女はおそるおそるその中を覗き込んで、ぎゅ、と眉間に皺を寄せる。
「……オパールやキキョウにあげたら喜ぶかしら?」
いや、喜ぶかどうかは知んないけど。
イリスやアヤメは見た目に反して料理センスが豪快なもので、大抵の料理がゆで料理になるという特性がある。ただ、アカネの場合はジンに似て細かな作業は好きらしい。ただ下ごしらえやら味付けやらが終わって、煮るだけ、焼くだけ、蒸すだけになった途端に、ぼーっと考えごとをする癖がある。しかも大抵、マイナス方向に。
……で、それがこういう悲劇を招いたと。
イリスたちと逆でゆで料理はできないな、これ。ほうれん草とか茹でさせたら、出来るのは青汁かもしれない。
―― ……まあ、今は無理もないかもしれないけど。
少しだけ落ち込みながら、外にお湯を捨てに行くアカネを目で追って、天井を仰ぐ。
「……もう二週間か」
エイロネイアの激動、さらにはシュアラとクロキアの因縁の決着がついて、早一週間。さすがに疲弊していた私はその足でイドラに戻ってきたが、自分の表面上の旦那の方はそのままエイロネイアに戻ったらしい。
全部が終わって直後、御大が意識を失ったと聞いて。
あれでもあれは国家医師免許持ちの、プロの主治医である。性格は最悪だけど。けれど、あんまりよくない状態なんだろうということは容易に察しがついた。
私はもちろん、アカネにも。
朗報もないまま二週間。約束の春祭りまでは、あと二週間を切った。
「……そりゃブルーにもなるわな……」
せめて、どんな状態なのかだけでも知らせてくればいいものを、便りの一つもない。便りのないのはいい便り、なんて言葉もあるが、この場合は当てはまらないだろう。
動乱の後で事後処理が終わらないのか、はたまたまた良くない報せが舞い込んでくるのか。
「さてはて、どーなることやら……って、およ?」
「ルナだけか。アカネはどうした?」
「あれ? さっきまで居なかったか?」
研究所に隣接したムトー家のキッチンでくつろいでいると、入ってきたのは今しがた出ていったアカネではなく、イリスとジンだった。
ジンは担いだかごいっぱいに、早めのじゃがいもやら、ひよこ豆やら、いんげんやらを携えている。
「外に怪生物を退治しに」
「は?」
「それよか、こりゃまた大量ね」
「ああ、メルが畑で取れたものを分けてくれた。他にも集落の婆さまたちがな」
「ルナ、夕飯はうちで食っていくだろ? 子供と2人だけじゃあ、味気ないんじゃないか?」
そもそもあれはでかい図体の割に消費量が低いから、食べる量的には困らないんだけど……。まあ、にこやかに誘ってくれる好意を断る理由もなく頷く。
「なら早速調理しよう」
調理て。あんたは茹でるだけだろう、イリス。
しばらく観察していると、ぼこぼこと湯気の立つ鍋にそのまま豆を放り込もうとして、ジンに止められる。とりあえず洗ってから入れようね、そこ。
ジンはジンで最初に用意するものが、フードプロセッサーと裏ごし器。
……解りやすくて大変結構。いや、まあ、馳走になる身はこっちだから何も文句をつける気はないけど。
「これまた随分もらってきたわね」
「ああ、ひよこ豆はアカネが好物だからね」
無精ひげの親父はぐつぐつと沸騰する湯の中の豆を、竹串でつつきながら言う。
基本的に放任主義な夫婦だが、きちんと親心があるのがこの2人のいいところである。大事が終わったのに、真っ先に顔を出さない婿に文句の一つも言っていいと思うのだが、既に御大の位置づけは息子と同じなんだろうか。何とも寛大なものである。
放任主義なのと放任するのとは違う。放任主義はモットーと言えるが、放任はただの責任放棄だ。子供がどこの馬の骨と結婚しようが、その後どんな破綻を起こそうが無関係。
「……」
――いかんいかん、関係なかった。
「残念ねえ、御大も。せっかくの新物に間に合わなくて」
「心配ない。メルのところの倉庫にはまだごろごろある。今年は雪が降ったからな、豊作なんだそうだ」
「そう、そりゃあ良かった」
私は勤めて明るく言った。イリスもいつものテンションの変わらない口調で返してくれる。
ジンがざるの上に豆をあけた。もうもうと土の香りがする湯気があがって、キッチンの中が春の匂いで満たされた。食べ物の匂いというのは、どうして嗅ぎ飽きるということがないのだろう。
「ただいまー。あれ、父さん、母さん、帰ってきて……」
ルパの乳をお土産に、アカネが外から帰ってきた。ひょこ、と背中まで伸びた髪を揺らして、キッチンに顔を覗かせて、
「……っ」
かしゃんっ!
「?」
アカネの手からルパの乳が入ったひょうたんが落ちて、床の上に白い雫をぶちまける。アカネの顔は真っ青で、彼女は必死に両手で鼻と口元を抑えていた。キッチンの中に充満する匂いを嗅ぐまいとするかのように。
「アカネ?」
「……ご、ごめんなさい、ちょっと……」
「ちょ、アカネ!?」
「あ、アカネ! どうし」
そのまま踵を返して走り去るアカネに、ジンが慌てて豆のざるを置いて追いかけようとする。だがイリスがその白衣を引っ張った。
「俺が行く。ジンはこっちを頼むぞ。俺がやると文句を言われるようだからな」
「あ、ああ……」
そりゃあ、まあ、いつもゆでてるだけだしな。
イリスは端的にざるの中を指差すと、すたすたとキッチンを出て行った。残された形のジンは、ざるを抱えてぱちくりと目を瞬かせている。
「どうしたんだ、アカネ? いつもはひよこ豆を煮ると嬉しそうなのに」
「……」
イリスを目で追って、私はもう一度、ジンの持っている豆を覗く。嫌な、いや、今は嫌な予感がした。
「……ちょっとまさか」
「?」
――!
ジンが訝しげに私を見る。何度か体験した、青い湖面と思い出したくない物体のイメージが頭の中に急に広がったのは、そのときだった。
漆喰と石段で組まれた、やや近代的なデザインの建物の門を潜る。思わず攻撃呪文でも叩き込んでみたくなるくらい無愛想に、柱のように佇む衛兵は、了承済みなのかあっさりと私を通してくれた。
受付に顔を出した途端に、慌てて敬礼をされる。話が通っているらしい。気持ちいいのか悪いのか。
即刻、案内の役人が現れて、頭を垂れた。
学舎と研究棟を抜けて、随分奥まで通される。3度の身体チェック(乙女の体に何するんだ、こいつら。ったく)を経て、ようやくその部屋に行き着いた。
通称はICU。解りやすく言うと、集中治療室である。
「すまないね、殺界の魔女。急な呼び出しなんかをして」
「それは別にいいけど」
ロックの紋様を解呪して、扉を潜った先にいたのは懐かしささえ覚えるレジェンディアの女帝と、何となく情けない顔をした出来の悪い弟、それからあんまり顔を合わせたくない件の旦那だった。
つかつかと部屋の中に踏み入ると、とりあえず、
がんっ!
「いったあああっ!? 何するんだようっ!?」
「何するんだよう、じゃない! 呼び出すのはともかく、何の嫌がらせであんな物体を見せるっ!?」
「えええー? だってルナ、今度の春祭りであれ、着るんだよ? 少しでも抵抗ないように、ってさあ……あだっ!?」
「余計なお世話だ、ボケ。で、御大の調子はどうなわけ?」
視線を移すと、フロアリア帝が溜め息を吐いて、部屋の中のコンソールの向こう側、薄いガラスケースの中を差した。コンソール前に腰掛けた旦那が、ファイルでこんこん、とコンソールを叩く。
「……」
自然と顔が歪むのがわかった。
患者[クランケ]用の簡易服を纏っただけの姿で寝台に横たわるのは、紛れも無くこの王立研究院の主で、さらにこの大国の主だった。顔はやや青く、痩せた腕と黒髪の頭部には無粋なチューブと、無骨な金属のリングが嵌められて、コンソールにつながれている。真っ暗なコンソールの中に、緑色の電子的な線が定期的な螺旋を描いていた。
「……で、記憶がないってのはどういうこと?」
「……そのままの意味だ。それ以外に何か意味があるのか?」
いや、ないだろうけどな。もうちょっといろいろ読め? いや、読んで表に反映させろ? 空気とか、人の心情とか、場面展開とか。
って、それはともかく。
「マジな話?」
「私らにそんなつまらん嘘を吐くような暇はないよ」
「……」
ガラスの棺の中で目を閉じる御大に目をやる。無意識にがりがりと頭を掻く。まったく、何てことだ。
「……っていうか棺で寝るのは姫の方だろーが。王子の方じゃないだろうに」
「いや、レアシスは、」
「言いたい馬鹿な発言は解るから少し黙れ、お前」
とりあえず余計なことを口走ろうとする馬鹿をもう一発殴っておく。
「で、戻るの? それ」
「それがわからんからお前を呼んだんだ、ルナ」
「?」
「……ジュニアは記憶を取り戻したいそうだ。戻るかはわからんが」
「……」
嫌な予感がする。昔からこの赤毛のトップは、人に無茶を平気で言う。御大もそうだが、国のトップというのはかくもこうなのか。
「本当はダイレクトに当人を呼ぶ話もあったんだがな。いくら何でもそれは酷だ、私が却下した。
……アカネの方はどうしてる?」
「その話をした馬鹿は誰よ。乙女心の欠片もわかってないわね。
……普通にしてるけど。乙女の修行もしてる。……ずっと待ってるわ。でもよくぼんやりしてる」
「……そうか」
フロアリア帝は溜め息を吐いてコンソールの横の椅子に腰掛けた。さすがのエクルーも苦い顔で俯いた。私は無意識に唇を噛む。
……ったく、まあ、何でこういうことを私に言わせるか。
「……忘れてるのね、全部」
「ああ」
「アカネのことも?」
「無論」
そこは出来れば論じておいて欲しかった。そんな都合のいいことはないか。
「残念だけど無理。私的にはもう少し、様子を見たい」
「ルナ! でも、レアシスは帰って来ようとしてるんだ。それにはアカネの力が必要なんだよ。アカネなら協力してくれる。アカネならきっと……」
……何で肝心なところで女心がわかってないか、こいつは。
「あんた、この二週間でまた御大に洗脳されて馬鹿になった? 女の子の味方が聞いて呆れるわ。
……一緒に戦って行こう、とかそういう次元の話じゃないのよ。まあ、確かにアカネはそう言うかもしれないけどね。泣きそうな顔でね。
あんた、御大に『君は誰?』って言われたとき、どれだけショックだった? アカネはあんたの何倍ショックだと思う?
ある意味で人生を捧げよう、って思った人間に『お前、誰だ?』って言われるのよ? あの娘はね、不安になりながらかろうじて楽しい未来の想像で不安と戦ってるの。私にそれを砕け、って言うの? 冗談じゃない。あんた、そんな残酷なことできる?
何でもかんでも背負い込まれても困るけど、何でもかんでも女に期待するんじゃない!」
「……」
「あの娘はね、クーデターの前から待ってるのよ。御大が処刑台に上がっただの、行方をくらましただの、分かっててもどれだけ不安だったでしょうね。
そりゃあ、あたしにはわからないわ。でもわからないからこそ、あの娘にこれ以上、圧力をかけるのには賛成できないわね。それに……」
「……それに?」
「……今、言うのはまずい」
「……」
私の言葉に、フロアリア帝は神妙な顔で頷いてみせた。平気で無茶を言うが、もの分かりと通りはいい人だ。
「……だが、いつまでも言わないままにするわけにもいかんだろう。後から言うにも、余計に傷つけるだけかもしれんぞ」
「……わかってる。でも、ぎりぎりまでは」
「……そうか。お前が言うなら、それを信じるぞ」
「それ。結構なプレッシャーなんですけどね」
「かけているのだ。当たり前だろう」
「……そりゃどうも。相変わらず、人を操るのが上手いわね。さすが炎帝と呼ばれるレジェンディア皇帝」
ちらり、とコンソールに座る旦那を横目に見る。彼は特に目立った反応もなく、もくもくとカルテを捲っていた。
私は息を吐くととん、とエクルーの肩を叩く。
「……あんたの気持ちもわかるけどね。何とかなって欲しいのは私も同じ。ただタイミングと順序がある。……急ぎは厳禁よ」
「わかってる。……ごめん、ルナ」
「こっちもね。御大の方は頼んだわよ。くれぐれも、馬鹿なマネに走らないように」
「うん。ルナも、アカネをよろしく」
ウィンクで答えてから、踵を返す。扉を潜る直前で、フロアリア帝と目があった。軽く頷いて目を細めた。
扉を潜ると、また生真面目な表情の案内役が出迎える。案内役が頭を垂れて踵を返すと、私はこっそりまた溜め息を漏らす。
―― ……一応は、最悪の事態も、考えて置いた方がよさそうね。
まったく、面倒なことになったもんだ。
……いや、不満があるのは、ある意味いつもだからこの場合、適切じゃあない。
正確に言えば、大きな不満がある。
一応、名誉のために言っておくが、それは別にクーデターを終えて、平和になったはずのエイロネイアから何故か旦那が帰って来ないことでも、そのせいでややファザコンのケがある娘が夜な夜な不貞腐れて添い寝しにくることでもない。名誉のために言っておくが。
問題は――
「……アカネ」
「……」
「……~~~っ。アカネっ!」
「……え?」
何度目かの呼びかけに、ようやく彼女は面をあげた。
「……それ。きしめんでも作るつもり?」
「え? ああっ!」
私の指したのはぼこぼこよお湯の泡を吹き出す鍋の中。白い泡の中でじだばたしているのは、(正味10分くらい前まで)ちょっとふやけたパスタ(だったもの)。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったのっ?」
「いや何度も言ったし、そもそも私の責任かそれっ!? ……いや、まあ、何でもいいけどとりあえず火止めろ。こぼれるし、必要以上にお湯にさらされて怪生物になってるパスタとか見たくないし」
「……そこまで言う?」
こういうときに間違っても、自分も料理が下手で同じようなことをしたことがあります。なんて言っちゃあいけない。
アカネは憮然としながらも火を止める。吹き零れる寸前だった鍋は大人しさを取り戻し、代わりにもうもうと白い湯気をあげた。彼女はおそるおそるその中を覗き込んで、ぎゅ、と眉間に皺を寄せる。
「……オパールやキキョウにあげたら喜ぶかしら?」
いや、喜ぶかどうかは知んないけど。
イリスやアヤメは見た目に反して料理センスが豪快なもので、大抵の料理がゆで料理になるという特性がある。ただ、アカネの場合はジンに似て細かな作業は好きらしい。ただ下ごしらえやら味付けやらが終わって、煮るだけ、焼くだけ、蒸すだけになった途端に、ぼーっと考えごとをする癖がある。しかも大抵、マイナス方向に。
……で、それがこういう悲劇を招いたと。
イリスたちと逆でゆで料理はできないな、これ。ほうれん草とか茹でさせたら、出来るのは青汁かもしれない。
―― ……まあ、今は無理もないかもしれないけど。
少しだけ落ち込みながら、外にお湯を捨てに行くアカネを目で追って、天井を仰ぐ。
「……もう二週間か」
エイロネイアの激動、さらにはシュアラとクロキアの因縁の決着がついて、早一週間。さすがに疲弊していた私はその足でイドラに戻ってきたが、自分の表面上の旦那の方はそのままエイロネイアに戻ったらしい。
全部が終わって直後、御大が意識を失ったと聞いて。
あれでもあれは国家医師免許持ちの、プロの主治医である。性格は最悪だけど。けれど、あんまりよくない状態なんだろうということは容易に察しがついた。
私はもちろん、アカネにも。
朗報もないまま二週間。約束の春祭りまでは、あと二週間を切った。
「……そりゃブルーにもなるわな……」
せめて、どんな状態なのかだけでも知らせてくればいいものを、便りの一つもない。便りのないのはいい便り、なんて言葉もあるが、この場合は当てはまらないだろう。
動乱の後で事後処理が終わらないのか、はたまたまた良くない報せが舞い込んでくるのか。
「さてはて、どーなることやら……って、およ?」
「ルナだけか。アカネはどうした?」
「あれ? さっきまで居なかったか?」
研究所に隣接したムトー家のキッチンでくつろいでいると、入ってきたのは今しがた出ていったアカネではなく、イリスとジンだった。
ジンは担いだかごいっぱいに、早めのじゃがいもやら、ひよこ豆やら、いんげんやらを携えている。
「外に怪生物を退治しに」
「は?」
「それよか、こりゃまた大量ね」
「ああ、メルが畑で取れたものを分けてくれた。他にも集落の婆さまたちがな」
「ルナ、夕飯はうちで食っていくだろ? 子供と2人だけじゃあ、味気ないんじゃないか?」
そもそもあれはでかい図体の割に消費量が低いから、食べる量的には困らないんだけど……。まあ、にこやかに誘ってくれる好意を断る理由もなく頷く。
「なら早速調理しよう」
調理て。あんたは茹でるだけだろう、イリス。
しばらく観察していると、ぼこぼこと湯気の立つ鍋にそのまま豆を放り込もうとして、ジンに止められる。とりあえず洗ってから入れようね、そこ。
ジンはジンで最初に用意するものが、フードプロセッサーと裏ごし器。
……解りやすくて大変結構。いや、まあ、馳走になる身はこっちだから何も文句をつける気はないけど。
「これまた随分もらってきたわね」
「ああ、ひよこ豆はアカネが好物だからね」
無精ひげの親父はぐつぐつと沸騰する湯の中の豆を、竹串でつつきながら言う。
基本的に放任主義な夫婦だが、きちんと親心があるのがこの2人のいいところである。大事が終わったのに、真っ先に顔を出さない婿に文句の一つも言っていいと思うのだが、既に御大の位置づけは息子と同じなんだろうか。何とも寛大なものである。
放任主義なのと放任するのとは違う。放任主義はモットーと言えるが、放任はただの責任放棄だ。子供がどこの馬の骨と結婚しようが、その後どんな破綻を起こそうが無関係。
「……」
――いかんいかん、関係なかった。
「残念ねえ、御大も。せっかくの新物に間に合わなくて」
「心配ない。メルのところの倉庫にはまだごろごろある。今年は雪が降ったからな、豊作なんだそうだ」
「そう、そりゃあ良かった」
私は勤めて明るく言った。イリスもいつものテンションの変わらない口調で返してくれる。
ジンがざるの上に豆をあけた。もうもうと土の香りがする湯気があがって、キッチンの中が春の匂いで満たされた。食べ物の匂いというのは、どうして嗅ぎ飽きるということがないのだろう。
「ただいまー。あれ、父さん、母さん、帰ってきて……」
ルパの乳をお土産に、アカネが外から帰ってきた。ひょこ、と背中まで伸びた髪を揺らして、キッチンに顔を覗かせて、
「……っ」
かしゃんっ!
「?」
アカネの手からルパの乳が入ったひょうたんが落ちて、床の上に白い雫をぶちまける。アカネの顔は真っ青で、彼女は必死に両手で鼻と口元を抑えていた。キッチンの中に充満する匂いを嗅ぐまいとするかのように。
「アカネ?」
「……ご、ごめんなさい、ちょっと……」
「ちょ、アカネ!?」
「あ、アカネ! どうし」
そのまま踵を返して走り去るアカネに、ジンが慌てて豆のざるを置いて追いかけようとする。だがイリスがその白衣を引っ張った。
「俺が行く。ジンはこっちを頼むぞ。俺がやると文句を言われるようだからな」
「あ、ああ……」
そりゃあ、まあ、いつもゆでてるだけだしな。
イリスは端的にざるの中を指差すと、すたすたとキッチンを出て行った。残された形のジンは、ざるを抱えてぱちくりと目を瞬かせている。
「どうしたんだ、アカネ? いつもはひよこ豆を煮ると嬉しそうなのに」
「……」
イリスを目で追って、私はもう一度、ジンの持っている豆を覗く。嫌な、いや、今は嫌な予感がした。
「……ちょっとまさか」
「?」
――!
ジンが訝しげに私を見る。何度か体験した、青い湖面と思い出したくない物体のイメージが頭の中に急に広がったのは、そのときだった。
漆喰と石段で組まれた、やや近代的なデザインの建物の門を潜る。思わず攻撃呪文でも叩き込んでみたくなるくらい無愛想に、柱のように佇む衛兵は、了承済みなのかあっさりと私を通してくれた。
受付に顔を出した途端に、慌てて敬礼をされる。話が通っているらしい。気持ちいいのか悪いのか。
即刻、案内の役人が現れて、頭を垂れた。
学舎と研究棟を抜けて、随分奥まで通される。3度の身体チェック(乙女の体に何するんだ、こいつら。ったく)を経て、ようやくその部屋に行き着いた。
通称はICU。解りやすく言うと、集中治療室である。
「すまないね、殺界の魔女。急な呼び出しなんかをして」
「それは別にいいけど」
ロックの紋様を解呪して、扉を潜った先にいたのは懐かしささえ覚えるレジェンディアの女帝と、何となく情けない顔をした出来の悪い弟、それからあんまり顔を合わせたくない件の旦那だった。
つかつかと部屋の中に踏み入ると、とりあえず、
がんっ!
「いったあああっ!? 何するんだようっ!?」
「何するんだよう、じゃない! 呼び出すのはともかく、何の嫌がらせであんな物体を見せるっ!?」
「えええー? だってルナ、今度の春祭りであれ、着るんだよ? 少しでも抵抗ないように、ってさあ……あだっ!?」
「余計なお世話だ、ボケ。で、御大の調子はどうなわけ?」
視線を移すと、フロアリア帝が溜め息を吐いて、部屋の中のコンソールの向こう側、薄いガラスケースの中を差した。コンソール前に腰掛けた旦那が、ファイルでこんこん、とコンソールを叩く。
「……」
自然と顔が歪むのがわかった。
患者[クランケ]用の簡易服を纏っただけの姿で寝台に横たわるのは、紛れも無くこの王立研究院の主で、さらにこの大国の主だった。顔はやや青く、痩せた腕と黒髪の頭部には無粋なチューブと、無骨な金属のリングが嵌められて、コンソールにつながれている。真っ暗なコンソールの中に、緑色の電子的な線が定期的な螺旋を描いていた。
「……で、記憶がないってのはどういうこと?」
「……そのままの意味だ。それ以外に何か意味があるのか?」
いや、ないだろうけどな。もうちょっといろいろ読め? いや、読んで表に反映させろ? 空気とか、人の心情とか、場面展開とか。
って、それはともかく。
「マジな話?」
「私らにそんなつまらん嘘を吐くような暇はないよ」
「……」
ガラスの棺の中で目を閉じる御大に目をやる。無意識にがりがりと頭を掻く。まったく、何てことだ。
「……っていうか棺で寝るのは姫の方だろーが。王子の方じゃないだろうに」
「いや、レアシスは、」
「言いたい馬鹿な発言は解るから少し黙れ、お前」
とりあえず余計なことを口走ろうとする馬鹿をもう一発殴っておく。
「で、戻るの? それ」
「それがわからんからお前を呼んだんだ、ルナ」
「?」
「……ジュニアは記憶を取り戻したいそうだ。戻るかはわからんが」
「……」
嫌な予感がする。昔からこの赤毛のトップは、人に無茶を平気で言う。御大もそうだが、国のトップというのはかくもこうなのか。
「本当はダイレクトに当人を呼ぶ話もあったんだがな。いくら何でもそれは酷だ、私が却下した。
……アカネの方はどうしてる?」
「その話をした馬鹿は誰よ。乙女心の欠片もわかってないわね。
……普通にしてるけど。乙女の修行もしてる。……ずっと待ってるわ。でもよくぼんやりしてる」
「……そうか」
フロアリア帝は溜め息を吐いてコンソールの横の椅子に腰掛けた。さすがのエクルーも苦い顔で俯いた。私は無意識に唇を噛む。
……ったく、まあ、何でこういうことを私に言わせるか。
「……忘れてるのね、全部」
「ああ」
「アカネのことも?」
「無論」
そこは出来れば論じておいて欲しかった。そんな都合のいいことはないか。
「残念だけど無理。私的にはもう少し、様子を見たい」
「ルナ! でも、レアシスは帰って来ようとしてるんだ。それにはアカネの力が必要なんだよ。アカネなら協力してくれる。アカネならきっと……」
……何で肝心なところで女心がわかってないか、こいつは。
「あんた、この二週間でまた御大に洗脳されて馬鹿になった? 女の子の味方が聞いて呆れるわ。
……一緒に戦って行こう、とかそういう次元の話じゃないのよ。まあ、確かにアカネはそう言うかもしれないけどね。泣きそうな顔でね。
あんた、御大に『君は誰?』って言われたとき、どれだけショックだった? アカネはあんたの何倍ショックだと思う?
ある意味で人生を捧げよう、って思った人間に『お前、誰だ?』って言われるのよ? あの娘はね、不安になりながらかろうじて楽しい未来の想像で不安と戦ってるの。私にそれを砕け、って言うの? 冗談じゃない。あんた、そんな残酷なことできる?
何でもかんでも背負い込まれても困るけど、何でもかんでも女に期待するんじゃない!」
「……」
「あの娘はね、クーデターの前から待ってるのよ。御大が処刑台に上がっただの、行方をくらましただの、分かっててもどれだけ不安だったでしょうね。
そりゃあ、あたしにはわからないわ。でもわからないからこそ、あの娘にこれ以上、圧力をかけるのには賛成できないわね。それに……」
「……それに?」
「……今、言うのはまずい」
「……」
私の言葉に、フロアリア帝は神妙な顔で頷いてみせた。平気で無茶を言うが、もの分かりと通りはいい人だ。
「……だが、いつまでも言わないままにするわけにもいかんだろう。後から言うにも、余計に傷つけるだけかもしれんぞ」
「……わかってる。でも、ぎりぎりまでは」
「……そうか。お前が言うなら、それを信じるぞ」
「それ。結構なプレッシャーなんですけどね」
「かけているのだ。当たり前だろう」
「……そりゃどうも。相変わらず、人を操るのが上手いわね。さすが炎帝と呼ばれるレジェンディア皇帝」
ちらり、とコンソールに座る旦那を横目に見る。彼は特に目立った反応もなく、もくもくとカルテを捲っていた。
私は息を吐くととん、とエクルーの肩を叩く。
「……あんたの気持ちもわかるけどね。何とかなって欲しいのは私も同じ。ただタイミングと順序がある。……急ぎは厳禁よ」
「わかってる。……ごめん、ルナ」
「こっちもね。御大の方は頼んだわよ。くれぐれも、馬鹿なマネに走らないように」
「うん。ルナも、アカネをよろしく」
ウィンクで答えてから、踵を返す。扉を潜る直前で、フロアリア帝と目があった。軽く頷いて目を細めた。
扉を潜ると、また生真面目な表情の案内役が出迎える。案内役が頭を垂れて踵を返すと、私はこっそりまた溜め息を漏らす。
―― ……一応は、最悪の事態も、考えて置いた方がよさそうね。
まったく、面倒なことになったもんだ。
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